2012年2月13日月曜日

やじうま

かつてのインターン先でおんぶにだっこしてくれた
親切な上司とひさしぶりに再会
相変わらず柔らかくて
どらやきパンマンみたいな上司は
ほわーっとしてるのに誰よりも知識が多くて尊敬する。
毎日が社会見学のようで、
オバマにもヒラリーにもローマ教皇にも
会わせてくれた上司に、
インターンを通じて本格的にテレビが嫌いになり、
もともとあんまりテレビを見なかった私が、
ほぼ一切見なくなったことを話せる日がいつか来るのだろうか?

私のあとにインターンをしてたという就活生にも会う。
私はこれがやりたい!なぜなら…!
でも…!だから…なのだ!
就活してた頃の自分と重なる。

私の状況とは違うのかもしれない、
彼らが口に出してる言葉は全部心の声かもしれない。
でもあの頃の私はストーリーテラーだった。
ストリートアーティスト。
誰に聞かれるでもなく、誰に求められるわけでもないのに、
ただ何かを強く主張し、守り抜く。
隙がないストーリーで相手を説得するのがゴールで、
そこには私が小さい頃お花を摘みながら
頭によぎらせたパステルピンクとイエローの思いは共存しない。

あの頃私がプレゼンした舞台よりも、
今日バレンタインに忙しそうにするお花屋さんを見ながら、
死ぬまでに一度お花屋で働いてみたいな~…
と思うぼやきの方が純粋な真実かもしれない。
最後にどらやきパンマンな上司
「結果的にどんな仕事につこうが、
そこから違う道はいくらでも派生する。
あまり焦らずに、ゆっくりやればいい。」
派手で華やかなバレンタインプレゼントの裏には、
それを夜な夜な粉まみれになって作った
女の子の想いと苦労がある。
テレビ局のかわいいアナウンサーの裏には
数えきれないジーパン×ジャージの人達の労働があった。

せっかく焼くなら美味しいクッキーを焼きたい。
どうせ粉まみれになるのなら、大好きなあの人のためになりたい。

2012年2月11日土曜日

Inception

Inception (2010)

体調を崩して、毎日21時前に寝るようになってから
変な夢を見るようになった。
眠りが深くなったから?浅くなったから?

Day 1.
うちの会社のNY社とやりとりするメールで
人間的に信用してる先輩が私の代わりに返信をしている:

「村田は既に退社済みです。どうやらメリルリンチに転職する模様で、
本日もメリルリンチ社のイケメン社員と打ち合わせをしているのでしょう」

これを見て私は混乱する。
1.先輩どこからそんなデマを聞いてきたの?
2.もし真実だったとしても何でNY社の社員にちくっちゃうの?
3.なぜメリルリンチ?
4.そしてイケメンってわざわざSpecificに…誰?

夢は潜在意識だっていうから、
起床後、私はゆっくりと不安になる。
私と先輩の信頼関係にひずみが?
金融で生きていけないと思っている私が外資系に転職?
イケメンって、まさかあの人…?
(自分が思いつく限りのイケメンを想像)

私の中にもレオナルドデカプリオみたいな人達が入り込んで
潜在意識にこの夢を埋めつけようとしたのなら
せめてメリルリンチじゃなくてHSBCとかドイチェにするとかね。
でもNY社のメールとかすごく日常業務でリアル
Day 2.
私の高校?大学?の友人とこそこそ声で話している。
ちょっと深刻な空気感。どういう話の流れか、
みんなが私に実は自分がキョポ(在日韓国人)であることを教えてくる。
すごく小さな声で。
「しー、誰にも言っちゃだめだよ、ばれない様に生きてきたのだから」
「今でも差別はひどくて、これが公にばれたら私達は過ごしていけない」

私はそこでびっくりしながらも、
みんなキョポだって隠して生活してきたのに
私は韓国に行きたいだの韓国人になりたいだの、
いつもいつも韓国韓国言っててごめんね、と罪悪感を感じる

これも潜在意識が不明。
韓国人になりたいというモチベーションの減少が
かつての自分への罪悪感になっているのか、
前日に北朝鮮の金正男の近代的な発言に興奮
していた感情が誤り誤ってこういう結果として出たのか
それともどこかの誰かが在日コリアンに対する
差別が減っていないことを訴えて
私に何かしろと伝えようとしているのか(預言的に)


2012年、人間関係も、目標も、仕事も、プライベートも、
黙々と静かに悩んでいるそんな時期

現実社会に出せる行動は脳の10%しか使っていなくて
夢や潜在意識ではそれを超えた自分の可能性がある

みたいなことを言うけれど
私の脳みそは残りの90%を使って悩みながら
勝手に自分の映画を作って流してくれているのかしら

A Single Man


"A Single Man" Directed by Tom Ford (2009)

去年から引き続き「1年間で100本の映画を見る」シリーズで
たまたま手にとめた映画 "A Single Man"
映像の切り取り方もせりふの構成もすごく好きで
ひさしぶりに好きな映画リストに入った。

主人公Georgeの葛藤が背景にある映画で、
一つ一つのスクリーンショットをありがままにフォローするのではなく
時間軸とストーリーラインの中に、Georgeの頭の中の映像;
回想シーンや、ふと頭に出てきた映像がスムーズに混ざりこみ、
Georgeのその瞬間の興味にあわせて
一定の対象がズームインされたりスローモーションになったりする。

それは時間のフローを崩すようであっても、
実際に人間として生活している上ではみんなが体感していることで、
(上司の話をすごく真面目な顔して聞きながら
実は昨日のけんかについて考えてたりとかetc)
すごく非現実でありそうなのに、何よりも現実的。

GeorgeやGoergeを慕う学生のPotterが孤独や恐怖などについて
黙々と一人で考え込んで悩み、思考をめぐらすタイプの人間だから
彼らが発するせりふの一つ一つがしっくりと私の中に落ちる。

"But somehow we always get stuck talking about our past,
but the past doesn’t really matter to me....
And I can’t wait for the present to be over, it’s a total drag...
And death, is the future. 
If one is not enjoying ones present,
there isn’t a great deal to suggest that the future should be any better." 

"we’re born alone and we die alone,
and while we’re here we’re absolutely sealed inside our own bodies. "

けしてペシミスティックになっているわけではなくて
個人的にはただ現実的であるつもり。
暗い気持ちなわけではないけど、
自分は常に孤独であると認識していて、
それを一秒一秒感じて、苦しんでいる。 


すごく身近な孤独や、苦しみがシーンの一つ一つに
隠れていて笑えるようで少し怖くなる。
いつも一緒にいるLloyceとPotterのつながりの浅さや
隣に住む幸せそうな夫婦の朝の挨拶から見える絆と愛の薄さ。

周りからは100%成功に見られている人たちの
影での悲しみや葛藤がごろごろ見え隠れして、
映画の世界から自分の実世界に重ねてしまう。
幸せに見えている人たちの本心、
自分がどう見られているかに対する恐怖。

Tom FordのSexualy Evocativeな静止画が多い広告は
あんまり好きじゃなかったけど、
彼が作る映像やストーリーはすごく好きだった

2012年1月15日日曜日

Brother Hood


Brother Hood

ソウルに住んでいた兄弟が朝鮮戦争を通して変わり、変えられていく話。
主にウォンビンとチャンドンゴン演じるソウルに住んでいた兄弟と
一緒に戦争に行き、二人で戦争を経験する中で
戦争という精神的にも体力的にも限界状態が続く中で
人間性を保てる人と保てない人の葛藤、優先順位を
忘れてしまう人と忘れてしまった人を敬遠する人の対立など、
戦争がいかに人間関係を、人間自身を変えてしまうかを見せる。


でも私がこの映画を見て一番がーんと来たのが
冷戦の延長であった朝鮮戦争の敵見方の線引きがあまりに曖昧で、
昨日までの敵が見方になり、昨日の友人を今日は殺すさまが
あまりに残酷で、後ろに控える大国に振り回される様子が辛い。


当時の朝鮮半島はそれまで占領していた日本が、第二次世界大戦に
敗れたたことでいきなりいなくなり、自由になった!と思いきや
第二次世界大戦が終わるや否や、冷戦が始まって、
ロシアと中国がサポートする金日成将軍と、米国がサポートする
韓国政府軍との戦争に別れたわけだけど、
当時の朝鮮半島の状況なんてわかりっこないけど
きっと当時も朝鮮半島に住む一般市民の多くは、自分が赤なのか
赤じゃないのかなんてそんなこと真面目に考えたことなんかなくて
家族と一緒に美味しいご飯を食べることができれば幸せ、
っていう平凡でも最も基本的な幸せを追い求めて生活してたはず。
そこになになに国のバックサポートが入った軍が入り、
戦い始めて、どっちかに徴収されて、相手と戦ってぼろぼろ死んでいくんだから
歴史にふりまわされる~…なんかじゃ片付け切れないやるせなさがある。


金正日総書記が無くなり、金ジョンウン氏が継いだ中
朝鮮半島の情勢に世界が注目しているけれど
朝鮮戦争までは一国として存在していて、
同じ民族で、同じ言葉を話し、同じ食べ物を食べていた人達が
ある日突然殺し合い、ある日突然線を引かれたってことを忘れないで
今となっては韓国が日本を追い抜くパワーで成長して、
韓国が北朝鮮を支援し、吸収するのか?みたいな
方向で議論が進んでいるけれど、
統一の可能性、統一の意味、統一の影響、を考える一つ前に
なぜこんな状況になってしまっているのかの歴史を考えてみる必要がある

ってあまりに多くの人が思っていないことが悲しい…
と思うんです。
歴史を学ぶ意味は、繰り返さないことです、と習ったはずなのに
最近ではアメリカのイラン侵攻の是非が問われ、
イラク侵攻の犠牲なんてのは3歩歩いて忘れたので
次の項目に移ります、テーマ:イラク!
の世界で、本当にぞっとする。

どこかで読んだ、
「歴史を知って過ちを回避するのなんてうそだ、
歴史を知っているからこそ、各国は次の戦争をする」
みたいなことが書いてあって非常に納得。
そうであってはいけないのに、現状を見て納得しちゃうのが悲しい。

2012年

気がつけば2012年になり、もう2週間が過ぎてしまいました。
大晦日からかなちゃんが来日し、本日イギリスに帰国して
大晦日もお正月ももっさんの成人式も私の誕生日も
すごくひさしぶりにみんなで過ごせた2週間、ってのも今日で終了
私は松戸の寮に戻り、かなちゃんはイギリスに、
みんなそれぞれがいた場所に戻っていく。
悲しいかな、2週間長いけど、日常を演出しようとしてもそれは演出に過ぎず
それをずっとは続けることができないし、できたとしても負担になる。
恋愛と一緒で、どんなに遠距離恋愛を長く続けていてうまくいっていても
念願の近距離恋愛に変わった瞬間に崩れたりする。
まあ、という、まるで楽しくなかったんじゃないかって聞こえるかもしれないけど
何が言いたいってこの2週間すごい楽しかったので現実に(日常)に
強制回帰で残念だな~ってことなのかな。

お正月あたりからはまっていることが二つ、
①おぐらゆうこりんのブログ
http://ameblo.jp/ogura-yuko1101/

②友達の友達のみおさんのブログ
http://miomiomiom.exblog.jp/

①おぐらゆうこりんは別に前から好きだったわけでも私がなりたいイメージでも
姿でもないんだけど、かなりの語弊が生じること承知で今年の私の目標にした!
何がっていうと、私もレーシーなショーパンを履いてキャラメルカラーボブにしたい
ってわけではなくて、おぐらゆうこりんってすごいと思うのが、あんなほわほわ~な
こりんせいなほよほよイメージなのに、実は頭がよく勤勉で投資などを独学勉強
して結構儲かってたりとか、料理がピカイチにうまくて、おしゃれでかわいい横文字
料理をたくさん作ってるのかな、と思いきやのひじきと鯖と出し巻き卵、みたいな
純和風メインで栄養満点、でもパンも作ります、タイカレーも作ります、タンドリー
チキンも焼きます、的な予想を超えたスキルの高さと好奇心の旺盛さに脱帽。
そしてそんな賢さと行動力を見せないあの雰囲気。
ってことで2012年の目標は、勤勉かつ行動的、実用的な知識を多くもっているのに
そんな様子を一つも匂わせないドラえもんのポケット的な女性を目指すことに決定

②友達の友達のみおさんは個人的に全然面識もないんだけど、
私が尊敬する友達が大いに尊敬していると言っていたのでブログを
チェックしたところ、面白くて時間に隙間があればアーカイブを総読破中。
現在2010年4月あたりだけど、ヒストリーを見たらなんと2004年まで続くらしいから
どこかで区切りをつけるかこのまま2004年まで辿るか悩みどころ。
このみおさん経歴はいまいち不明だけど、現在ラオスで勤務中で、
その前は気仙沼に3ヶ月滞在してボランティア統括みたいな仕事をし、
その前はソマリアのWFP事務所の所長をしていた女性。
かなりのキャリア(ソマリアの激戦地で所長ってすごい責任)なのにそれを
匂わせない軽快な文と謙虚な態度、ソマリアなどの援助・開発国の現状
(お涙、お涙じゃないよ、人はしっかりと生きていて、彼らのドラマがある)を
しーん、ちーんってならないで教えてくれる、問題意識の高さ、etcetc
学ぶことが多すぎてiphoneに入ってるメモアプリがパンパン。

メモに落とした一つ一つの内容について自分が忘れないように
書き留めておきたいけど、ここで始めたらキリが無いから今度。

でも、みおさんの影響もあり、今年はここにもう少し頻度あげて書きたい。
元々私のブログは誰かに何かを伝えたいから、読んでほしいから書く、
というよりは自分がその時何を思って何を感じてたか書き留めて、
後々ふりかえれるデータベース的役割が強いんだけど、
イケメンでミュージカル俳優の友人辛源ちゃんもブログ投稿に書いてたみたいに
思考/想像力×次の思考/想像力→更なる思考/想像力につながり、
その思考/想像力を培うためにいろんなinputが必要で、それを自分に落とすために
ちゃんとoutputして精査しないといけないから、常にいろんなものを見て、読んで、聞いて
思ったことを書き留めておかないと、次の段階の思考には到達できないと悟りました。
次の段階の思考とか悟りとか書くとスピリチュアルチックですが、そうではなく、
ああ思った×こう思ったをどんどん増やしていくことで、2011年の私が進化した2012年の
私に成長できる、そのためにちゃんとメモをしていく、ってことです。
なのでいろいろinputしたら新鮮なうちに書き留める。これを癖にする2012年にする。

他にもいろんな2012年の目標を立てて、月ごとに見直ししてちゃんとクリアさせたい。
ちゃんとノートに書き留めるのは今晩寝る前にするとして、
2012年の目標はざっくり:
・健康な体を作る1:養命酒を飲んで冷え性を治し、青汁を飲む
・健康な体を作る2:運動をする(会社から徒歩で数駅歩く、ヨガ、ランニング)
・健康な体を作る3:毎日2L以上水分を摂取する(水かお茶)
・映画を100本見る(去年は73)
・本を50冊以上読む(去年は途中でカウントも断念)
・旅行に行き、写真を撮る
・ファイナンスの勉強をする
・韓国語能力試験に再挑戦
・人のためにお金を使いながらすごい金額で貯金をする
・人にやさしく、自分に厳しくする

です。本年も頑張ろう、いや本年こそ頑張ろう。

2011年10月9日日曜日

In to the Wild


本当は福島県にボランティアに行く予定が、事情により行かなくなって
3連休が突然すっぽり空っぽになった。
体力も、頭も、心も、疲れていて、焦りばかりが積もっていたから
何も予定も入れずにゆっくりする。
ひさしぶりにゆっくりお風呂に入って本を読む。
たくさん本を読んで、いろいろ考える。


最近自分の教養と、学校について考える。
たとえ私が日本の大学で比較的いい成績を取ってたとしても
それはあくまで周りと比較しての評価であって
私の知識の増加や、教養の深みについては何も証明してくれない。
本に書いてあることは、ある程度の生活の余裕と
リソースさえあれば、何歳になっても、どこにいても頭に入れることができる。

例えば今日私が突然、日本史のスペシャリストになりたいと思ったとしたら
私は私立図書館で無料の会員カードを作って
ひたすら日本史の本を読み漁って覚えればいい。
だから図書館で読める本の中に書いてあることなんて、学校で教えなくてもいい。
どこでも自分で勉強できることなんてみんなで一緒に習う必要なんてない。


何かを知る楽しさや、新しく知った何かを誰かと共有する楽しさや
自分がこれから何を自分の人生でしていきたいか、
何を楽しいと思うか、それをどういう風にしていけばいいのか、
あれをどう思うか、なんでそう思うのか、
あの子はこう思ってるのになんであの人はこう思わないのか。
そういう、誰かと話していかないと深められないこと
誰かを見てないと学べないこと、誰かに相談して、やっと道が開けること
そういうのを学校で習うべきなんだろうな、って
当たり前のことなのかしれないけど最近すごく思う。
そういう風にできる機会が無かったとは言わないけれど
たくさんあったとは思えないし、それにその時気が付けてなかったことに
すごく後悔して、すごく反省して、
なぜかすごく焦っちゃう。
大切な機会を逃してしまった気がしちゃう。

-
同じ言葉を話せる人が周りにいない。
でも同じ言葉が話せない人に無理して私の言葉を教えるつもりもない。
もし相手が気付いてないなら、同じ言葉を話せてるふりをする。
言葉を共有できない人とあえて、戦争を起こす必要はない。
でも、同じ言葉を話す人が近くにいないことは
とても、とっても辛い。とても辛い。

In to the Wild / Jon Krakauer

”So many people live within unhappy circumstances
and yet will not take the initiatives to change
 their situation because they are conditioned
 to a life of security, conformity, and conservatism,
all of which may appear to give
one peace of mind, but in reality nothing is
 more damaging to the adventurous spirit
within a man than a secure future”

成績もよくて、愛想もいいChrisは親と約束していた大学卒業と共に
突然失踪、親や兄弟や友達には一切連絡なく、
2年後にアラスカの真ん中で餓死しているところが発見された。
彼は2年間アメリカ国内をヒッチハイクで周り、
ずっと夢見ていたアラスカに行き着くが、
アラスカでの生活が開始されて100日後、亡くなった。

物質に溢れて、ルールや規則や権力にはびこった世の中と
嘘偽りで固まった人間関係へ依存した現代社会に
心の奥底で一人で憤ったあげく野生へ挑戦しに行くことにしたChris。
レールが敷かれた人生と、表面だけを探りあう人間関係への疲れが
私の心にも響いてつらい。

2011年10月1日土曜日

ボランティア報告記

9月の第一回目3連休の時に岩手県にボランティアに行って来ました。
忘れない様に、共有できるように、自分の為にレポート作りました。
ので一応ここにもPost. 以下:



ボランティア概要
参加期間:
2011/09/172011/09/20
 
場所:
岩手県 大船渡市
 
参加団体:
 
交通手段:
) 東京駅~新幹線やまびこ~一関駅 一関駅~高速バス~大船渡市盛駅
 
) 大船渡市盛駅~夜行バス~池袋駅
 
費用:
交通費) 12,270+ 1,460+ 8,710= 22,440
22,440
準備)鉄板入り長靴、寝袋、寝袋マット購入
8,000
会社から補助) 6,000円×3日=18,000
+ 18,000
12,440



All Hands Volunteers Project Tohokuとは?

All Handsは米国のボランティア団体でハリケーンカトリーナ、タヒチの津波などでも活躍した団体。東北には地震直後から入り、以来継続して岩手県大船渡地区を中心に活動している。日本語が話せないメンバーが多い為、最初は通訳が足りず地元の人達とのコミュニケーションにも苦労したが、業者などが拒む悪環境の作業場を率先して処理し、道路、側溝、工場、公園、家屋など様々な場所の修復に貢献してきたため、今では大船渡の人達から大変慕われ、「直接御礼を言いにくいから」と左の様なポスターを市が作成、街の至るところに貼ってある。「日本を助けなくてはいけないと思ったから地震の映像を見た直後に日本行きのチケットを買った」という外国人参加者も多い。「外国で災害があっても助けに行こうなんて思ったこと無かった。僕たちも悲しんでばかりいる場合ではない。外国人が顔を泥まみれにしながら毎日作業してくれてるんだから」と現地の人の励みになっている。


Day1. 菅原輝夫さん
作業内容:菅原さんが所有していた魚冷蔵工場の跡地の細かい瓦礫撤去と雑草抜き及び、冷蔵工場で使用していた用品の清掃。

菅原さんは一つだけ残っている下の歯茎の歯を見せながらよく笑う。ボランティア参加者に「何も急ぐことは無いんだからゆっくりやりなさい。どうもありがとう。みんなでおしゃべりでもしながら休めばいい。」と言い、常に気を使ってくれる。
しかしその笑顔の裏で菅原さんは、魚冷蔵工場を全部失い、工場で使用していた機材の多くと、トラクターを含む25台もの車を失った。毎年3人ずつ研修生として迎えていた中国人労働者の宿泊施設も失い、彼らはまだ日本へ帰ってくる目途が立っていない。しかも津波の被災は1960年のチリの津波以来の2回目。チリで発生した大地震の余波が太平洋を越えて岩手県を直撃した当時も、今回同様に魚冷蔵工場を全部失った。「もうお父さんの時だけで2回もやられたんだ。この土地はもう使わない。」今後は自分の土地を市に寄付し、小中学生用の野球場や、防波堤の建設に利用してもらうのだと言う。




菅原さんの寛大さと優しさは菅原さんの経済的余裕にも少なからず関係しているだろう。魚冷蔵工場の他にも「7つの収入源がある。お金はたくさんもらえばもらう程、たくさん税金払わないといけないからもうお金はいらない」と笑い飛ばす。菅原さん曰く、岩手県議会の委員会や、葬祭場の経営などもしていて、ここらへんでは少し有名らしい。どこまでが本当なのかは分からないが、菅原さんが飼っている北海道犬のリュウちゃんはソフトバンクのCMに出ている白い犬の甥っ子にあたるのだという。「2匹赤ちゃんが生まれたから孫さんがくれた。孫さんは俺の余った土地をソーラー発電に使う予定なんだ」という。菅原さんは今後全壊した魚冷蔵工場を山の上へ移し、中国人研修生も徐々に呼び戻すつもりだと言う。壊れた機材は溶接を30年やっている菅原さんの弟さんがやってくれる予定で、畑を失った菅原家の台所には親戚の畑で採れた野菜が並ぶなど、大船渡市の地元の絆が見える。生かし、生かされている大船渡の田舎町を見ると、東京で災害が起きた時には、誰か助けてくれるだろうか?私は見知らぬ人に手を差し伸べることが出来るだろうか、と考えてしまう。


作業日の昼休み、菅原さんの奥さまが自宅で作ったきゅうりとみょうがのお漬物、焼き立てのホットケーキにりんごを持ってきてくれた。ボランティアに出来ることは限りなく少なく、一人の人が一日一生懸命働いても何一つ変わらないと言えるほど現地の被害は大きい。作業は暗くなる前の5時位に終了する。「お父さんも頑張るからお前らも頑張れ。来年の今頃にはさんまがたくさん取れるから遊びに来なさい。たくさんご馳走してやるから。」美味しいおやつをたくさんもらって、気もたくさん使ってもらって、私が行くことで逆に負担になったのではないだろうかと思う傍ら、菅原さんは「本当に助かった、ありがとう」と何度も御礼を言ってくれる。明日は菅原さんが葬儀に参列するため、作業が行われない。

三浦純子さん

Day2.
作業内容:汚れた茶碗の洗浄、汚れた畳や床の入れ替え


三浦さんの家に着いた瞬間、怒った顔でボランティアを受け入れる苦労を語ってくれた。「見知らぬ人を大勢、自分の家に入れて自分のものを触らせる勇気を知ってもらいたい。」と漏らす。被災後、日本各地から何十人ものボランティアに来てもらい大変助かったが、古い日本家屋に住む三浦さんの家を見て「汚いから入りたくない」と表情に出してしまう人や、作業中に疲れたと弱音を吐く人も少なくなく、嫌な思いをしてきた様子。ボランティアにあまり良いイメージが無い三浦さんに外国人が多いボランティアグループが受け入れてもらえるのだろうかと心配するのも束の間、気がつけば三浦さんはアメリカ人のジェニファーと子育ての苦労について語り、大学生のしょうたろうくんに自分のことをお母さんと呼ばせて喜んでいる。



 三浦さんのお父さんが母屋に住み、三浦さん自身は離れに、その間には小さい神社と畑と小さな牧場があった。しかし海からだいぶ離れた山のふもとにある三浦家にまで津波は押し寄せ、母屋と牧場以外全部流されてしまった。三浦さんは一人でお父さんと家畜を安全なところへ避難させた後、2メートルもの高波によって崩れて行く我が家を見ていたのだと言う。その後も水は7月辺りまでひかず、三浦さんは瓦礫のドブと化した我が家に毎日足を運び、使えそうな茶碗などを集めていった。「一番高価なお抹茶のお茶碗が割れていて悲しかったけど仕方が無いと思うでしょ。いろんなものを拾って集めたけど一番見つけて嬉しかったのは、息子が小さい時に毎日読み聞かせていた絵本だったのよ。塩水に浸かってもう本自体は開かなくなっちゃったんだけど。」


 もう既にボランティアの手が入っており、離れは崩され、瓦礫撤去も終わり、土地だけがガランと残っている。神社も綺麗に除去され鳥居の一部と石像だけが残る。「神社さんが母屋だけは守ってくれたんだって信じてるの。人間なんて元々裸で生まれたんだから、生きてるだけで感謝でしょ。赤子に戻ったと思えばいいわよね」と少し悲しい笑顔を見せる。そんな三浦さんも、気を使わないでほしいと言うボランティア隊長の言葉を無視してお昼ごはんにはふかし芋とお味噌汁を、午後にはコーヒーとぶどうのおやつを用意してくれた。「辛い思いもしたけど、感謝もすごくしているの。冬になったらまた遊びに来て、東北のお正月の節句を見に来てほしい。うちにずっと泊まればいいから」と言ってくれる。「もちろんボランティアで手伝ってもらいたいのもあるんだけど、いろんな人に見てもらったり話を聞いてもらったりするのも凄く大事だって最近思うのよ。今回は私がたくさん手伝ってもらったから、次にどこかで何かが起きたら私も手伝いに行けたらいいと思ってる。」


 三浦さんの旦那さんは自身の御両親の介護のためにここ何年にも渡り別居中、一人っ子の息子さんは東京で働いている。「私は優しくないから東京に会いに行ってあげない」と見栄を張る三浦さんのところへ息子さんは一度だけバイクで帰省し、片付けを手伝ってくれたのだそう。このため普段は片付けないといけない物の山の中、一人ぼっちで作業をせざるを得ない。正直、今回三浦さん宅でやるべきことは数少なかった。既に別ボランティアが洗った茶碗をもう一度念入りに洗う。既に別ボランティアが簡単に掃除した畳をもう一度洗い、入れ直す。大きなヘドロの水たまりは既になく、瓦礫の山もなくなったが、我が家を復興する辛さと寂しさの波は一人ぼっちで乗り越えるには大きすぎたのだろう。




○ボランティア備忘録○
大船渡の盛駅に私が参加したボランティア団体の事務所はあり、私は3日間そこに宿泊した。そこは、3月に大船渡入りしたAll Handsが最初に作業を行った旧フジマル電気の建物で、作業してもらった御礼にとオーナーが一時的に場所を貸してくれて事務所となった。中には簡単なシャワーとトイレがあり、キッチンでは大船渡住人のおばさん達が美味しい晩御飯を作ってくれる。私が想像していた被災地の姿とは随分異なり、そこは豪華ではないものの、十分長期間でも住める空間だった。
 大船渡の港から3.1km離れた盛駅付近の商店街は津波の爪後が何も残っていない様に見える。泥も無ければ倒れた建物も無い。しかしよく見ると6ヶ月経った今でも公園のフェンスは折れ曲がり、線路は曲がり、盛駅は復旧していない。大船渡は被災地の中でも比較的被害は少なく、復旧も進んでいるが、それでも死者/行方不明者数は500人に及び、地盤は1m下がり、多くの土地が使いものにならなくなってしまった。大船渡市を南下した陸前高田市は更にひどく、未だに瓦礫の山があっちこっち手つかずで放置されているらしい。



今後秋になり、冬になるにつれ、東北では積雪が見込まれ、復旧作業は一旦中止になると言われている。今回、初めての東北でのボランティアで見た、ボランティア活動に励む外国人/日本人、傷を抱えながらもしっかりと前を見ようとする地元の人たちを見て、私ももう少し、何かしらの形で力になりたいと思った。もっと早い段階から東北に足を運んで自分の目で現場を見なかったことを後悔した。10月にもまた東北に向かいたいと思っている。


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