2011年10月9日日曜日

In to the Wild


本当は福島県にボランティアに行く予定が、事情により行かなくなって
3連休が突然すっぽり空っぽになった。
体力も、頭も、心も、疲れていて、焦りばかりが積もっていたから
何も予定も入れずにゆっくりする。
ひさしぶりにゆっくりお風呂に入って本を読む。
たくさん本を読んで、いろいろ考える。


最近自分の教養と、学校について考える。
たとえ私が日本の大学で比較的いい成績を取ってたとしても
それはあくまで周りと比較しての評価であって
私の知識の増加や、教養の深みについては何も証明してくれない。
本に書いてあることは、ある程度の生活の余裕と
リソースさえあれば、何歳になっても、どこにいても頭に入れることができる。

例えば今日私が突然、日本史のスペシャリストになりたいと思ったとしたら
私は私立図書館で無料の会員カードを作って
ひたすら日本史の本を読み漁って覚えればいい。
だから図書館で読める本の中に書いてあることなんて、学校で教えなくてもいい。
どこでも自分で勉強できることなんてみんなで一緒に習う必要なんてない。


何かを知る楽しさや、新しく知った何かを誰かと共有する楽しさや
自分がこれから何を自分の人生でしていきたいか、
何を楽しいと思うか、それをどういう風にしていけばいいのか、
あれをどう思うか、なんでそう思うのか、
あの子はこう思ってるのになんであの人はこう思わないのか。
そういう、誰かと話していかないと深められないこと
誰かを見てないと学べないこと、誰かに相談して、やっと道が開けること
そういうのを学校で習うべきなんだろうな、って
当たり前のことなのかしれないけど最近すごく思う。
そういう風にできる機会が無かったとは言わないけれど
たくさんあったとは思えないし、それにその時気が付けてなかったことに
すごく後悔して、すごく反省して、
なぜかすごく焦っちゃう。
大切な機会を逃してしまった気がしちゃう。

-
同じ言葉を話せる人が周りにいない。
でも同じ言葉が話せない人に無理して私の言葉を教えるつもりもない。
もし相手が気付いてないなら、同じ言葉を話せてるふりをする。
言葉を共有できない人とあえて、戦争を起こす必要はない。
でも、同じ言葉を話す人が近くにいないことは
とても、とっても辛い。とても辛い。

In to the Wild / Jon Krakauer

”So many people live within unhappy circumstances
and yet will not take the initiatives to change
 their situation because they are conditioned
 to a life of security, conformity, and conservatism,
all of which may appear to give
one peace of mind, but in reality nothing is
 more damaging to the adventurous spirit
within a man than a secure future”

成績もよくて、愛想もいいChrisは親と約束していた大学卒業と共に
突然失踪、親や兄弟や友達には一切連絡なく、
2年後にアラスカの真ん中で餓死しているところが発見された。
彼は2年間アメリカ国内をヒッチハイクで周り、
ずっと夢見ていたアラスカに行き着くが、
アラスカでの生活が開始されて100日後、亡くなった。

物質に溢れて、ルールや規則や権力にはびこった世の中と
嘘偽りで固まった人間関係へ依存した現代社会に
心の奥底で一人で憤ったあげく野生へ挑戦しに行くことにしたChris。
レールが敷かれた人生と、表面だけを探りあう人間関係への疲れが
私の心にも響いてつらい。

2011年10月1日土曜日

ボランティア報告記

9月の第一回目3連休の時に岩手県にボランティアに行って来ました。
忘れない様に、共有できるように、自分の為にレポート作りました。
ので一応ここにもPost. 以下:



ボランティア概要
参加期間:
2011/09/172011/09/20
 
場所:
岩手県 大船渡市
 
参加団体:
 
交通手段:
) 東京駅~新幹線やまびこ~一関駅 一関駅~高速バス~大船渡市盛駅
 
) 大船渡市盛駅~夜行バス~池袋駅
 
費用:
交通費) 12,270+ 1,460+ 8,710= 22,440
22,440
準備)鉄板入り長靴、寝袋、寝袋マット購入
8,000
会社から補助) 6,000円×3日=18,000
+ 18,000
12,440



All Hands Volunteers Project Tohokuとは?

All Handsは米国のボランティア団体でハリケーンカトリーナ、タヒチの津波などでも活躍した団体。東北には地震直後から入り、以来継続して岩手県大船渡地区を中心に活動している。日本語が話せないメンバーが多い為、最初は通訳が足りず地元の人達とのコミュニケーションにも苦労したが、業者などが拒む悪環境の作業場を率先して処理し、道路、側溝、工場、公園、家屋など様々な場所の修復に貢献してきたため、今では大船渡の人達から大変慕われ、「直接御礼を言いにくいから」と左の様なポスターを市が作成、街の至るところに貼ってある。「日本を助けなくてはいけないと思ったから地震の映像を見た直後に日本行きのチケットを買った」という外国人参加者も多い。「外国で災害があっても助けに行こうなんて思ったこと無かった。僕たちも悲しんでばかりいる場合ではない。外国人が顔を泥まみれにしながら毎日作業してくれてるんだから」と現地の人の励みになっている。


Day1. 菅原輝夫さん
作業内容:菅原さんが所有していた魚冷蔵工場の跡地の細かい瓦礫撤去と雑草抜き及び、冷蔵工場で使用していた用品の清掃。

菅原さんは一つだけ残っている下の歯茎の歯を見せながらよく笑う。ボランティア参加者に「何も急ぐことは無いんだからゆっくりやりなさい。どうもありがとう。みんなでおしゃべりでもしながら休めばいい。」と言い、常に気を使ってくれる。
しかしその笑顔の裏で菅原さんは、魚冷蔵工場を全部失い、工場で使用していた機材の多くと、トラクターを含む25台もの車を失った。毎年3人ずつ研修生として迎えていた中国人労働者の宿泊施設も失い、彼らはまだ日本へ帰ってくる目途が立っていない。しかも津波の被災は1960年のチリの津波以来の2回目。チリで発生した大地震の余波が太平洋を越えて岩手県を直撃した当時も、今回同様に魚冷蔵工場を全部失った。「もうお父さんの時だけで2回もやられたんだ。この土地はもう使わない。」今後は自分の土地を市に寄付し、小中学生用の野球場や、防波堤の建設に利用してもらうのだと言う。




菅原さんの寛大さと優しさは菅原さんの経済的余裕にも少なからず関係しているだろう。魚冷蔵工場の他にも「7つの収入源がある。お金はたくさんもらえばもらう程、たくさん税金払わないといけないからもうお金はいらない」と笑い飛ばす。菅原さん曰く、岩手県議会の委員会や、葬祭場の経営などもしていて、ここらへんでは少し有名らしい。どこまでが本当なのかは分からないが、菅原さんが飼っている北海道犬のリュウちゃんはソフトバンクのCMに出ている白い犬の甥っ子にあたるのだという。「2匹赤ちゃんが生まれたから孫さんがくれた。孫さんは俺の余った土地をソーラー発電に使う予定なんだ」という。菅原さんは今後全壊した魚冷蔵工場を山の上へ移し、中国人研修生も徐々に呼び戻すつもりだと言う。壊れた機材は溶接を30年やっている菅原さんの弟さんがやってくれる予定で、畑を失った菅原家の台所には親戚の畑で採れた野菜が並ぶなど、大船渡市の地元の絆が見える。生かし、生かされている大船渡の田舎町を見ると、東京で災害が起きた時には、誰か助けてくれるだろうか?私は見知らぬ人に手を差し伸べることが出来るだろうか、と考えてしまう。


作業日の昼休み、菅原さんの奥さまが自宅で作ったきゅうりとみょうがのお漬物、焼き立てのホットケーキにりんごを持ってきてくれた。ボランティアに出来ることは限りなく少なく、一人の人が一日一生懸命働いても何一つ変わらないと言えるほど現地の被害は大きい。作業は暗くなる前の5時位に終了する。「お父さんも頑張るからお前らも頑張れ。来年の今頃にはさんまがたくさん取れるから遊びに来なさい。たくさんご馳走してやるから。」美味しいおやつをたくさんもらって、気もたくさん使ってもらって、私が行くことで逆に負担になったのではないだろうかと思う傍ら、菅原さんは「本当に助かった、ありがとう」と何度も御礼を言ってくれる。明日は菅原さんが葬儀に参列するため、作業が行われない。

三浦純子さん

Day2.
作業内容:汚れた茶碗の洗浄、汚れた畳や床の入れ替え


三浦さんの家に着いた瞬間、怒った顔でボランティアを受け入れる苦労を語ってくれた。「見知らぬ人を大勢、自分の家に入れて自分のものを触らせる勇気を知ってもらいたい。」と漏らす。被災後、日本各地から何十人ものボランティアに来てもらい大変助かったが、古い日本家屋に住む三浦さんの家を見て「汚いから入りたくない」と表情に出してしまう人や、作業中に疲れたと弱音を吐く人も少なくなく、嫌な思いをしてきた様子。ボランティアにあまり良いイメージが無い三浦さんに外国人が多いボランティアグループが受け入れてもらえるのだろうかと心配するのも束の間、気がつけば三浦さんはアメリカ人のジェニファーと子育ての苦労について語り、大学生のしょうたろうくんに自分のことをお母さんと呼ばせて喜んでいる。



 三浦さんのお父さんが母屋に住み、三浦さん自身は離れに、その間には小さい神社と畑と小さな牧場があった。しかし海からだいぶ離れた山のふもとにある三浦家にまで津波は押し寄せ、母屋と牧場以外全部流されてしまった。三浦さんは一人でお父さんと家畜を安全なところへ避難させた後、2メートルもの高波によって崩れて行く我が家を見ていたのだと言う。その後も水は7月辺りまでひかず、三浦さんは瓦礫のドブと化した我が家に毎日足を運び、使えそうな茶碗などを集めていった。「一番高価なお抹茶のお茶碗が割れていて悲しかったけど仕方が無いと思うでしょ。いろんなものを拾って集めたけど一番見つけて嬉しかったのは、息子が小さい時に毎日読み聞かせていた絵本だったのよ。塩水に浸かってもう本自体は開かなくなっちゃったんだけど。」


 もう既にボランティアの手が入っており、離れは崩され、瓦礫撤去も終わり、土地だけがガランと残っている。神社も綺麗に除去され鳥居の一部と石像だけが残る。「神社さんが母屋だけは守ってくれたんだって信じてるの。人間なんて元々裸で生まれたんだから、生きてるだけで感謝でしょ。赤子に戻ったと思えばいいわよね」と少し悲しい笑顔を見せる。そんな三浦さんも、気を使わないでほしいと言うボランティア隊長の言葉を無視してお昼ごはんにはふかし芋とお味噌汁を、午後にはコーヒーとぶどうのおやつを用意してくれた。「辛い思いもしたけど、感謝もすごくしているの。冬になったらまた遊びに来て、東北のお正月の節句を見に来てほしい。うちにずっと泊まればいいから」と言ってくれる。「もちろんボランティアで手伝ってもらいたいのもあるんだけど、いろんな人に見てもらったり話を聞いてもらったりするのも凄く大事だって最近思うのよ。今回は私がたくさん手伝ってもらったから、次にどこかで何かが起きたら私も手伝いに行けたらいいと思ってる。」


 三浦さんの旦那さんは自身の御両親の介護のためにここ何年にも渡り別居中、一人っ子の息子さんは東京で働いている。「私は優しくないから東京に会いに行ってあげない」と見栄を張る三浦さんのところへ息子さんは一度だけバイクで帰省し、片付けを手伝ってくれたのだそう。このため普段は片付けないといけない物の山の中、一人ぼっちで作業をせざるを得ない。正直、今回三浦さん宅でやるべきことは数少なかった。既に別ボランティアが洗った茶碗をもう一度念入りに洗う。既に別ボランティアが簡単に掃除した畳をもう一度洗い、入れ直す。大きなヘドロの水たまりは既になく、瓦礫の山もなくなったが、我が家を復興する辛さと寂しさの波は一人ぼっちで乗り越えるには大きすぎたのだろう。




○ボランティア備忘録○
大船渡の盛駅に私が参加したボランティア団体の事務所はあり、私は3日間そこに宿泊した。そこは、3月に大船渡入りしたAll Handsが最初に作業を行った旧フジマル電気の建物で、作業してもらった御礼にとオーナーが一時的に場所を貸してくれて事務所となった。中には簡単なシャワーとトイレがあり、キッチンでは大船渡住人のおばさん達が美味しい晩御飯を作ってくれる。私が想像していた被災地の姿とは随分異なり、そこは豪華ではないものの、十分長期間でも住める空間だった。
 大船渡の港から3.1km離れた盛駅付近の商店街は津波の爪後が何も残っていない様に見える。泥も無ければ倒れた建物も無い。しかしよく見ると6ヶ月経った今でも公園のフェンスは折れ曲がり、線路は曲がり、盛駅は復旧していない。大船渡は被災地の中でも比較的被害は少なく、復旧も進んでいるが、それでも死者/行方不明者数は500人に及び、地盤は1m下がり、多くの土地が使いものにならなくなってしまった。大船渡市を南下した陸前高田市は更にひどく、未だに瓦礫の山があっちこっち手つかずで放置されているらしい。



今後秋になり、冬になるにつれ、東北では積雪が見込まれ、復旧作業は一旦中止になると言われている。今回、初めての東北でのボランティアで見た、ボランティア活動に励む外国人/日本人、傷を抱えながらもしっかりと前を見ようとする地元の人たちを見て、私ももう少し、何かしらの形で力になりたいと思った。もっと早い段階から東北に足を運んで自分の目で現場を見なかったことを後悔した。10月にもまた東北に向かいたいと思っている。


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