2011年10月9日日曜日

In to the Wild


本当は福島県にボランティアに行く予定が、事情により行かなくなって
3連休が突然すっぽり空っぽになった。
体力も、頭も、心も、疲れていて、焦りばかりが積もっていたから
何も予定も入れずにゆっくりする。
ひさしぶりにゆっくりお風呂に入って本を読む。
たくさん本を読んで、いろいろ考える。


最近自分の教養と、学校について考える。
たとえ私が日本の大学で比較的いい成績を取ってたとしても
それはあくまで周りと比較しての評価であって
私の知識の増加や、教養の深みについては何も証明してくれない。
本に書いてあることは、ある程度の生活の余裕と
リソースさえあれば、何歳になっても、どこにいても頭に入れることができる。

例えば今日私が突然、日本史のスペシャリストになりたいと思ったとしたら
私は私立図書館で無料の会員カードを作って
ひたすら日本史の本を読み漁って覚えればいい。
だから図書館で読める本の中に書いてあることなんて、学校で教えなくてもいい。
どこでも自分で勉強できることなんてみんなで一緒に習う必要なんてない。


何かを知る楽しさや、新しく知った何かを誰かと共有する楽しさや
自分がこれから何を自分の人生でしていきたいか、
何を楽しいと思うか、それをどういう風にしていけばいいのか、
あれをどう思うか、なんでそう思うのか、
あの子はこう思ってるのになんであの人はこう思わないのか。
そういう、誰かと話していかないと深められないこと
誰かを見てないと学べないこと、誰かに相談して、やっと道が開けること
そういうのを学校で習うべきなんだろうな、って
当たり前のことなのかしれないけど最近すごく思う。
そういう風にできる機会が無かったとは言わないけれど
たくさんあったとは思えないし、それにその時気が付けてなかったことに
すごく後悔して、すごく反省して、
なぜかすごく焦っちゃう。
大切な機会を逃してしまった気がしちゃう。

-
同じ言葉を話せる人が周りにいない。
でも同じ言葉が話せない人に無理して私の言葉を教えるつもりもない。
もし相手が気付いてないなら、同じ言葉を話せてるふりをする。
言葉を共有できない人とあえて、戦争を起こす必要はない。
でも、同じ言葉を話す人が近くにいないことは
とても、とっても辛い。とても辛い。

In to the Wild / Jon Krakauer

”So many people live within unhappy circumstances
and yet will not take the initiatives to change
 their situation because they are conditioned
 to a life of security, conformity, and conservatism,
all of which may appear to give
one peace of mind, but in reality nothing is
 more damaging to the adventurous spirit
within a man than a secure future”

成績もよくて、愛想もいいChrisは親と約束していた大学卒業と共に
突然失踪、親や兄弟や友達には一切連絡なく、
2年後にアラスカの真ん中で餓死しているところが発見された。
彼は2年間アメリカ国内をヒッチハイクで周り、
ずっと夢見ていたアラスカに行き着くが、
アラスカでの生活が開始されて100日後、亡くなった。

物質に溢れて、ルールや規則や権力にはびこった世の中と
嘘偽りで固まった人間関係へ依存した現代社会に
心の奥底で一人で憤ったあげく野生へ挑戦しに行くことにしたChris。
レールが敷かれた人生と、表面だけを探りあう人間関係への疲れが
私の心にも響いてつらい。

2011年10月1日土曜日

ボランティア報告記

9月の第一回目3連休の時に岩手県にボランティアに行って来ました。
忘れない様に、共有できるように、自分の為にレポート作りました。
ので一応ここにもPost. 以下:



ボランティア概要
参加期間:
2011/09/172011/09/20
 
場所:
岩手県 大船渡市
 
参加団体:
 
交通手段:
) 東京駅~新幹線やまびこ~一関駅 一関駅~高速バス~大船渡市盛駅
 
) 大船渡市盛駅~夜行バス~池袋駅
 
費用:
交通費) 12,270+ 1,460+ 8,710= 22,440
22,440
準備)鉄板入り長靴、寝袋、寝袋マット購入
8,000
会社から補助) 6,000円×3日=18,000
+ 18,000
12,440



All Hands Volunteers Project Tohokuとは?

All Handsは米国のボランティア団体でハリケーンカトリーナ、タヒチの津波などでも活躍した団体。東北には地震直後から入り、以来継続して岩手県大船渡地区を中心に活動している。日本語が話せないメンバーが多い為、最初は通訳が足りず地元の人達とのコミュニケーションにも苦労したが、業者などが拒む悪環境の作業場を率先して処理し、道路、側溝、工場、公園、家屋など様々な場所の修復に貢献してきたため、今では大船渡の人達から大変慕われ、「直接御礼を言いにくいから」と左の様なポスターを市が作成、街の至るところに貼ってある。「日本を助けなくてはいけないと思ったから地震の映像を見た直後に日本行きのチケットを買った」という外国人参加者も多い。「外国で災害があっても助けに行こうなんて思ったこと無かった。僕たちも悲しんでばかりいる場合ではない。外国人が顔を泥まみれにしながら毎日作業してくれてるんだから」と現地の人の励みになっている。


Day1. 菅原輝夫さん
作業内容:菅原さんが所有していた魚冷蔵工場の跡地の細かい瓦礫撤去と雑草抜き及び、冷蔵工場で使用していた用品の清掃。

菅原さんは一つだけ残っている下の歯茎の歯を見せながらよく笑う。ボランティア参加者に「何も急ぐことは無いんだからゆっくりやりなさい。どうもありがとう。みんなでおしゃべりでもしながら休めばいい。」と言い、常に気を使ってくれる。
しかしその笑顔の裏で菅原さんは、魚冷蔵工場を全部失い、工場で使用していた機材の多くと、トラクターを含む25台もの車を失った。毎年3人ずつ研修生として迎えていた中国人労働者の宿泊施設も失い、彼らはまだ日本へ帰ってくる目途が立っていない。しかも津波の被災は1960年のチリの津波以来の2回目。チリで発生した大地震の余波が太平洋を越えて岩手県を直撃した当時も、今回同様に魚冷蔵工場を全部失った。「もうお父さんの時だけで2回もやられたんだ。この土地はもう使わない。」今後は自分の土地を市に寄付し、小中学生用の野球場や、防波堤の建設に利用してもらうのだと言う。




菅原さんの寛大さと優しさは菅原さんの経済的余裕にも少なからず関係しているだろう。魚冷蔵工場の他にも「7つの収入源がある。お金はたくさんもらえばもらう程、たくさん税金払わないといけないからもうお金はいらない」と笑い飛ばす。菅原さん曰く、岩手県議会の委員会や、葬祭場の経営などもしていて、ここらへんでは少し有名らしい。どこまでが本当なのかは分からないが、菅原さんが飼っている北海道犬のリュウちゃんはソフトバンクのCMに出ている白い犬の甥っ子にあたるのだという。「2匹赤ちゃんが生まれたから孫さんがくれた。孫さんは俺の余った土地をソーラー発電に使う予定なんだ」という。菅原さんは今後全壊した魚冷蔵工場を山の上へ移し、中国人研修生も徐々に呼び戻すつもりだと言う。壊れた機材は溶接を30年やっている菅原さんの弟さんがやってくれる予定で、畑を失った菅原家の台所には親戚の畑で採れた野菜が並ぶなど、大船渡市の地元の絆が見える。生かし、生かされている大船渡の田舎町を見ると、東京で災害が起きた時には、誰か助けてくれるだろうか?私は見知らぬ人に手を差し伸べることが出来るだろうか、と考えてしまう。


作業日の昼休み、菅原さんの奥さまが自宅で作ったきゅうりとみょうがのお漬物、焼き立てのホットケーキにりんごを持ってきてくれた。ボランティアに出来ることは限りなく少なく、一人の人が一日一生懸命働いても何一つ変わらないと言えるほど現地の被害は大きい。作業は暗くなる前の5時位に終了する。「お父さんも頑張るからお前らも頑張れ。来年の今頃にはさんまがたくさん取れるから遊びに来なさい。たくさんご馳走してやるから。」美味しいおやつをたくさんもらって、気もたくさん使ってもらって、私が行くことで逆に負担になったのではないだろうかと思う傍ら、菅原さんは「本当に助かった、ありがとう」と何度も御礼を言ってくれる。明日は菅原さんが葬儀に参列するため、作業が行われない。

三浦純子さん

Day2.
作業内容:汚れた茶碗の洗浄、汚れた畳や床の入れ替え


三浦さんの家に着いた瞬間、怒った顔でボランティアを受け入れる苦労を語ってくれた。「見知らぬ人を大勢、自分の家に入れて自分のものを触らせる勇気を知ってもらいたい。」と漏らす。被災後、日本各地から何十人ものボランティアに来てもらい大変助かったが、古い日本家屋に住む三浦さんの家を見て「汚いから入りたくない」と表情に出してしまう人や、作業中に疲れたと弱音を吐く人も少なくなく、嫌な思いをしてきた様子。ボランティアにあまり良いイメージが無い三浦さんに外国人が多いボランティアグループが受け入れてもらえるのだろうかと心配するのも束の間、気がつけば三浦さんはアメリカ人のジェニファーと子育ての苦労について語り、大学生のしょうたろうくんに自分のことをお母さんと呼ばせて喜んでいる。



 三浦さんのお父さんが母屋に住み、三浦さん自身は離れに、その間には小さい神社と畑と小さな牧場があった。しかし海からだいぶ離れた山のふもとにある三浦家にまで津波は押し寄せ、母屋と牧場以外全部流されてしまった。三浦さんは一人でお父さんと家畜を安全なところへ避難させた後、2メートルもの高波によって崩れて行く我が家を見ていたのだと言う。その後も水は7月辺りまでひかず、三浦さんは瓦礫のドブと化した我が家に毎日足を運び、使えそうな茶碗などを集めていった。「一番高価なお抹茶のお茶碗が割れていて悲しかったけど仕方が無いと思うでしょ。いろんなものを拾って集めたけど一番見つけて嬉しかったのは、息子が小さい時に毎日読み聞かせていた絵本だったのよ。塩水に浸かってもう本自体は開かなくなっちゃったんだけど。」


 もう既にボランティアの手が入っており、離れは崩され、瓦礫撤去も終わり、土地だけがガランと残っている。神社も綺麗に除去され鳥居の一部と石像だけが残る。「神社さんが母屋だけは守ってくれたんだって信じてるの。人間なんて元々裸で生まれたんだから、生きてるだけで感謝でしょ。赤子に戻ったと思えばいいわよね」と少し悲しい笑顔を見せる。そんな三浦さんも、気を使わないでほしいと言うボランティア隊長の言葉を無視してお昼ごはんにはふかし芋とお味噌汁を、午後にはコーヒーとぶどうのおやつを用意してくれた。「辛い思いもしたけど、感謝もすごくしているの。冬になったらまた遊びに来て、東北のお正月の節句を見に来てほしい。うちにずっと泊まればいいから」と言ってくれる。「もちろんボランティアで手伝ってもらいたいのもあるんだけど、いろんな人に見てもらったり話を聞いてもらったりするのも凄く大事だって最近思うのよ。今回は私がたくさん手伝ってもらったから、次にどこかで何かが起きたら私も手伝いに行けたらいいと思ってる。」


 三浦さんの旦那さんは自身の御両親の介護のためにここ何年にも渡り別居中、一人っ子の息子さんは東京で働いている。「私は優しくないから東京に会いに行ってあげない」と見栄を張る三浦さんのところへ息子さんは一度だけバイクで帰省し、片付けを手伝ってくれたのだそう。このため普段は片付けないといけない物の山の中、一人ぼっちで作業をせざるを得ない。正直、今回三浦さん宅でやるべきことは数少なかった。既に別ボランティアが洗った茶碗をもう一度念入りに洗う。既に別ボランティアが簡単に掃除した畳をもう一度洗い、入れ直す。大きなヘドロの水たまりは既になく、瓦礫の山もなくなったが、我が家を復興する辛さと寂しさの波は一人ぼっちで乗り越えるには大きすぎたのだろう。




○ボランティア備忘録○
大船渡の盛駅に私が参加したボランティア団体の事務所はあり、私は3日間そこに宿泊した。そこは、3月に大船渡入りしたAll Handsが最初に作業を行った旧フジマル電気の建物で、作業してもらった御礼にとオーナーが一時的に場所を貸してくれて事務所となった。中には簡単なシャワーとトイレがあり、キッチンでは大船渡住人のおばさん達が美味しい晩御飯を作ってくれる。私が想像していた被災地の姿とは随分異なり、そこは豪華ではないものの、十分長期間でも住める空間だった。
 大船渡の港から3.1km離れた盛駅付近の商店街は津波の爪後が何も残っていない様に見える。泥も無ければ倒れた建物も無い。しかしよく見ると6ヶ月経った今でも公園のフェンスは折れ曲がり、線路は曲がり、盛駅は復旧していない。大船渡は被災地の中でも比較的被害は少なく、復旧も進んでいるが、それでも死者/行方不明者数は500人に及び、地盤は1m下がり、多くの土地が使いものにならなくなってしまった。大船渡市を南下した陸前高田市は更にひどく、未だに瓦礫の山があっちこっち手つかずで放置されているらしい。



今後秋になり、冬になるにつれ、東北では積雪が見込まれ、復旧作業は一旦中止になると言われている。今回、初めての東北でのボランティアで見た、ボランティア活動に励む外国人/日本人、傷を抱えながらもしっかりと前を見ようとする地元の人たちを見て、私ももう少し、何かしらの形で力になりたいと思った。もっと早い段階から東北に足を運んで自分の目で現場を見なかったことを後悔した。10月にもまた東北に向かいたいと思っている。


2011年7月23日土曜日

スペイン 虹色の街

会社で金融をやってるから、旅行前にも
「欧州では債務問題が…ギリシャに続いてスペインが…デフォルトの危機」
だのなんだの、スペインどうなってるんだと思ったら、
観光都市Barcelonaはものの見事に整備されて
電車は時間通り、バスも予定通り、道は綺麗で、ごみ一つ見あたらない
ウェイターは呼ぶ前に来てくれて、街で道を聞いたら皆英語で答えてくれる。
「Nada, No Problema!」
って、スペイン人ちっともなまけてないじゃん!
ってのは観光都市Barcelonaだからであって、Madridとかはまた違う話なんだろうな。
やっぱりスペインって自由だよね、愛だよね、表現だよね、
ほらあそこでも男の人が手つないでる、あそこにも、あそこにも、
あれ?
と思ったら今日はGay Paradeの日だよ。踊るミュージカルファウンテンを見に行くはずが
素敵な美女と猛烈にかっこいい男性がぎゅうぎゅうの道に入る。
イケメンにウィンクされる。あ、恥ずかしい、って、そっか違うよね。
私の後ろに立ってるこのイケメンにしてるんだよね、すみませんでした。
毎日がお祭りなのか、この日だけなのか知らないけど
そういえば映画のSpanish Apartmentの続編のRussian Dollsで
フランス人XavierはBarcelona出身の女の子とお付き合いをして
二人ですっぽんぽんで街を走ったりしてたよね。
そんなもんなのかな、スペインって?違うか。違うよね。
やっと噴水についた。
ドバイでもミュージカルファウンテンあったけど、ドバイのより100倍綺麗だよ。
ドバイでお金ある人たちが高そうなカメラで冷静に噴水の様子をビデオに収めているより
Barcelonaの噴水の前で音楽に合わせて踊る女の子と
水に濡れに行って勇者の顔でお父さんにドヤ顔する少年がいる
Barcelonaのミュージカルファウンテンの方が100倍綺麗だよ。
すっかり観光客で、なんだか少し嫌だな。
こんなにクレイジーでふざけてて美味しくてハッピーな街が
本当にBarcelonaの本性なのかな?
でも映画のVicky Christina Barcelonaでも
クレイジーなアーティストのペネロペが
愛とか芸術とか人生について語ってたよね。
道端で大けんかして、家に帰って感情を油絵で表現してたよね。
感情が溢れてて、素直なんだろうな、この街は。きっと。
感情を素直に出すことを良しとされず、
目立たないように、気に障らないように、声を大きくしすぎないように、
そう暗黙のルールに縛られている東京から見た芝生は、あまりに青くて羨ましい。
Barcelonaがあまりに青くて羨ましい。


2011年7月18日月曜日

スペイン オレンジの街

Barcelonaは虹色の街。
Gaudiのモザイクタイルの色と太陽の色。
女の子の華やかなワンピースと、道に咲くお花のいろんな色。
そしてマーケットの色。いろんな色の食べ物の色。
どこの国に行ってもマーケットが大好き!
いろんなものが売ってて、安くて、美味しくて、みんな楽しそうで、
美味しくて美味しくて美味しくて…
マーケットが大好き!
あんなにオレンジが眩しくて、
パイナップルやチェリーやイチゴやブルーベリーやマンゴーやネクタリンや
なんでもかんでも美味しいものに囲まれたのに、写真が一つも無いよ。
なんでかって写真撮ってないで全部食べてたからだよ。
マーケットに着いた瞬間に絞りたてのミックスジュース;1つ1EURを買って、
「おじさんこのネクタリンを1kg分下さい。」
「オッケイ、0.99EURでネクタリン8つで足りるかな?」
パラダイスだよここは!全部安くて全部美味しいよ!
トレイ大盛りのパイナップルが1EUR、
ブルーベリーの詰め合わせが1EUR、
少し歩いてのど渇いたから違う味の絞りたてジュース1EUR、
チェリーの袋詰め、こんな大きいチェリー初めて!が少し高くて1.5EUR、
ねえ、さっきのブルーベリーとパイナップルが気づいたらなくなっちゃった。
じゃあイチゴのトレイを食べたらいいよ。
もうマーケット出なくちゃ、次の場所行くよ。
そんな悲しそうな顔しないで、もう一杯絞りたてジュース買ってあげるから、行くよ。
Barcelonaの後のモロッコで出会ったFlorida出身の女の子がずっと言ってた。
「知ってる?東京の築地マーケットに来ているマグロのほとんどが
スペインのBarcelonaのマグロなんだよ。」
本当かどうかは知らないけど、こんなにたくさん美味しいものが集まってるから
築地マーケットのマグロもBarcelonaの物だって言われてもあまり疑わない。
Barcelonaには他にもあるよ。
Paellaもあるし、Jamon Ibericoもあるし、Olivesもあるし、Croiquettesもあるよ。
大好きな友達のDahyeちゃんに、Barcelonaに行くからアドバイス頂戴と言ったら、
"千尋、Barcelonaに行ったらマーケットに行って、チェリーを買いなさい。
そしてどこでも良いから外に席があるTapas屋さんに入って
Jamon IbericoとOlivesとCheeseを食べなさい。
それらを食べながらSangriaで酔っ払いなさい。
それでBarcelonaをほとんど知ったようなものよ。"
私は本当に賢い友達を持ってよかった。

2011年7月14日木曜日

スペイン Gaudiの街

BarcelonaはGaudiの街。
何百年にも渡って建てられていてまだ終わってないし当分終わらない
伝説の教会Sagrada FamiliaをボスにしてGaudiの宝物が散らばっている。
Barcelonaの鮮やかな太陽と、透き通る海と、鮮やかなオレンジとオリーブの
いろんな色がぶつかりあって、でも戦わない、
そんな虹色の街Barcelonaを表現したかったのかなGaudiは。
でたらめのようで、ぐちゃぐちゃのようで、きれいなものを作ってしまう。
昔おばあちゃんが、余ったボタンをたくさんあつめて
それを全部ひもに通したら、一つ一つはぶざいくなのに
まとめるとすごく綺麗に見えるネックレスを作ってくれた。きっとそんな感じ。
小さい頃にお絵かきをしていたとき、
私のおうちはお菓子で作って、屋根は全部アイシングにする。
かわいくするために、塔の上にはパイナップルを置いて、
楽しくするために、屋根の真ん中には鳩の巣を作る。
時々その鳩は、塔の上のパイナップルを食べるの。
でも大丈夫、パイナップルはすぐに補充するし、
その横にはオレンジも置いてあるから、私も一緒に食べに行く。
子供の夢を叶えた家。
想像するだけで楽しくて、みんながそこに集まってきちゃうような家。
そんな家を、自然の中で植物とか昆虫とかお花を見て育ったGaudiは夢見て、
他の人が大人になるにつれてそれを忘れていったのに対して
Gaudiは一生懸命勉強して、考えて、本当に建てちゃった。
おもちゃの家。
想像するだけでも楽しいみんなの家は、世界中から人を寄せ集めて
何百年もかけて皆の夢をかなえようとしてる。
都会に住んで、ビルの中で働いて、パソコンを見ながら数字で遊ぶ。
家を出てから駅までのわずかな時間しか太陽を浴びず
太陽が沈んだ頃にビルを出る。
今日は雨だったの?晴れだったの?
ビルの中はいつも同じ温度だから今日が暑かったのか寒かったのかもわかんない。
冷えすぎてるからとりあえずカーデガンを持っていかないと。
Gaudiの時代がどんな時代で、そのときBarcelonaはどんな街だったのかは
全然分からないけど、Gaudiはどんどん世界中の街が同じになっていって
コンクリートとガラスに囲まれて、灰色と黒に囲まれて、
太陽の暖かい光や、海の鮮やかな青、草の緑と、花の溢れる色を
人がどんどん見なくなっていくことに気がついていたのかな?
自然の色を決して忘れないで。
自然の色を忘れてもいいから、考え方まで、物の見方まで、
みんなと同じ灰色と黒にしたりしないで。
Gaudiの作品を気に入り、自分の土地に大きな家を建てて欲しい、
やっぱり、お金が無いから公園を作って、と頼んだMr.GuelleのGuelle Parkは
Gaudi作品の中でも色合いの宝庫。ジャングルの様でパレットの様で
宙に浮いてたり、柱が並んでたり、カメレオンが居たり、象が居たり、
どこまでもふざけていて、まるでBarcelonaの街みたい。
素敵なオーケストラの音色が聞こえると思ったら
おじいさんがバイオリンを、弾いてるふりしてた。
横のラジカセで素敵なオーケストラの音色を流す。
ふざけてるよ!でもいいんだよ。おじいさん素敵な音色を流してくれてありがとう。
楽しかったら良いじゃない、みんなで笑えれば良いじゃない、Barcelonaが大好き。

2011年7月11日月曜日

Barcelona

 Spanish Apartmentの雰囲気が好きでBarcelonaに行った。
9日間しかもらえない夏休みで、モロッコ旅行に無理やりくっつけて。
大学生の時にスペイン語を勉強しに短期でスペインに
行きたがった時もどうしてもBarcelonaに行きたかった。
友達に、カタローニャだから意味がない
って言われてもBarcelonaじゃなくちゃ嫌だった。
そんな念願のBarcelona。
仕事終わりに成田直行→ドバイ→パリ→バルセロナ
のエンドレスな旅をした後で、
Barcelonaの一番盛り上がっている道Las Ramblasを
赤いスーツケースを持って何回も何回も往復した。
私の新しいスーツケースが石畳にものすごい音を鳴らして
みんなに見られた。何週も何週も一人でRamblasパレードをして
やっとホテルが見つかった。前日に会社のデスクで抑えた私のホテル。
2階にあるホテルのロビーに上がるために小さいエレベーターに乗った。
中に入って、まず檻みたいな柵を閉めてからドアを閉める。
The Kings Speachの先生の病院に行くときの王様みたいな感じで。
ロビーについて名前を言うと鍵を渡してもらえなかった。
Upstairs on the left, its 304.
鍵くれないけど良くわかんないから指示に従って
スーツケースを持って上に上がる。
スーツケースが大きくて重くて階段にあたる。
ヘギョンの声が聞こえる。誰かと話してる。きっと友達を連れてきたんだろう。
ヘギョンの名前を呼ぶとすぐに部屋から飛び出てきてくれる。
ひさしぶりだね、何ヶ月ぶりかな?実際に会うのは。
Chihiro, see,
なに?
Its Kanachan. She came to Barcelona.
かなちゃんが居た。私のお姉ちゃん。
私がBarcelonaに居る週末にイギリスから遊びに行くよと騒いだ後で
ごめん、直前過ぎて10万円以上のチケットしか見つからないから
Expediaを殺しそう!と一人芝居をしていたかなちゃんがなぜかいる。
来れないって言ったのに何でいるの!
なんか恥ずかしい、期待してなかったのに
なに、you're not even going to give me a hug?
だって体汚いんだもん。臭いかも。
Barcelonaは太陽の街、どこに行っても私達変わらないよね。

2011年6月7日火曜日

walt disney

先週末ディズニーに行って、ひさしぶりに夢というものを思い出した。
.

「あれ、僕は今夢を見てるのかな...?」


小さい頃に夢見てたもの。
私もシンバみたいに陽気で勇敢なライオンになりたい。
私もジーニーみたいなベストフレンドが欲しい。
私もアリエルみたいに涼しく海で泳ぎたい。
私もシンデレラみたいに綺麗なドレスを着たい。
私もいつか鳥たちと話せるようになりたい。。


お姫様になりたい。
綺麗で、優しくて、美しいものをたくさん見てるお姫様になりたい。
私のためのお城の中で、私のためのドレスを着て、
私の愛する王子様と手をつないで道を歩くの。
.

そこには、駆け引きとか、悪口とか、本音とか、
建前とか、そういうものは存在しない。
ただ私の夢と、私の理想と、私の愛情がある。
綺麗な風景と、私の大好きな人たちがいる。


ウォルトディズニーはなにを伝えたかったんだろう?
誰を救おうとしてたんだろう?
自分自身の力では夢を見れなくなった人たちに
夢のテンプレートをくれたのか、
みんなの夢を綺麗に色塗りしたのか、どっちかな?

2011年5月24日火曜日

The Big Fish

The Big Fish

アメリカに一年間留学してた時に
映画学を専攻しているセルビア人の友達が教えてくれた
彼の「my favorite movie」; The big fish

結構前に見て、すっかり忘れてたんだけど、
昨日ベンの家に行った時に置いてあって思い出した。
私もこの映画が大好き。
脈略があるようで、ないようで、
何を言いたいのか分かるようで、分からないようで、
伝言ゲームみたいにちぐはぐしていて、
見ている人の想像力次第でどんな映画にもなってしまう映画。
この映画が私も大好き

"Has is ever occured to you that maybe you're not too big?
but that maybe this place is too small?"

なんだか今まで、
次へ次へ、もっともっとで、
恵まれてるから、ラッキーで、結構いろんなことしてきたけど
満足できない癖がついちゃった。
前と後ろをしっかり確認するのも大切だけど
右と左にあるものを決して忘れちゃいけないんだよね。

"You were a big fish in a small pond,
but this here is the ocean and you're drowning"

次を見て、今いる場所、今していることを見下してしまう。
勉強不足は私なのに。
25mも泳ぎきらないのに、
泳ぐ練習もしないで、太平洋を横断する夢を見てる。
私に海の楽しさを教えてよ。
ウミガメやイルカと一緒に泳ぐ楽しさと
水の冷たさと太陽の暖かさを教えてくれたら
私も息継ぎの練習から始めるのに。


今日大好きな先輩と飲みに行きたくて、
飲みに行くことになって、
すごく楽しみにしていたのに
頭がそっちへ向かず、なんとなく、
自分からヤメにしちゃった。
今日は忙しくて行けません。
そして悲しくなる。しゅん。行きたかったな。

"It was that night that I discovered that most things
you consider evil or wicked are simply lonely,
and lacking in the social niceties"

何も伝えるつもりはないけど、
たとえば、
オサマビンラディンにだって家族がいて、
彼にだって思いがあって、伝えたいことがあって、
守りたいものがあって、
それを表現した方法が間違ってたんだと思う。
でもただ、何かを伝えたかったんじゃないか、とも思う。
それが分かってくれない人がいることに憤り、
悲しんで、怒ったんだと思う。

伝える方法が間違ってただけで
きっと、ずっと辿れば何かが同じだとも思う。
分からないけれど。何も分からないけれど。

私も人が好き。
でも時に人が大嫌い。
何でこんなに傷つけられるんだろう、
そして無駄に傷つけちゃうんだろう、お互いに。


2011年5月21日土曜日

Monroe

気づいたら全然書いてなかった。書いてないと忘れちゃうのに。

note:France

フランスと最近縁がある。フランス人の友達、フランスに住んでた友達、
そしてフランスで勉強している親友と、6月に少しだけ訪ねるパリ。
偶然は必然で、縁と直感を頼りに進む私は縁が重なるとドキドキする。
どこに向かおうか?

私の日本人の友人が前にtwitterで書いてた
「日本に蔓延する"え~私わからない"女子の文化」
という表現に私はすごく納得するんだけど、
そのトレンドを無視する私は"しっかりしている"だの
"自分の意見を持っている"だのとよく言われる。

でもフランス人の友人と話していてすごく面白いのが、
そんな"強い意見を持つ"私の"意見の無さ"が目立つこと。
「で、君はどう思う?」の問いかけにたじろぐ自分がいる。

「ほら、時々いるじゃん。マルクスとかソクラテスとか
そういう基本的な哲学者の本すら読んだこと無い人」
とプログラミングをしている友人に言われて、
マルクスやらソクラテスの本を読んだこと無い自分に恥ずかしさを感じる。
shame on me.

恥ずかしいけど、すごく嬉しい。
私ももっと賢くなりたい、もっと自分の意見を持てる子になりたい、
なんて、日本人の友人、先輩、上司、に囲まれて全然思わないから
この知的好奇心が気持ち良い。

-

最近仕事で悩んでいて、っていっつも仕事で悩んでいるんだけど、
今日、悩んでる私を察して友達がすごく為になることを教えてくれた。

"Chihiro,
Love and Friendship is about being true to your emotions.
Work is about reading and controlling your own and others' emotions;
softening it, hiding it, faking it, if needed."

softening it, hiding it, faking it.

他の人の意見なんて、気にしないで我がままを進んでいるつもりの私も
きっと仕事場にemotionを持ち込み過ぎてることに気が付いた。
emotionを持ち込むから、振り回されるし、感情が入り込んで、なんていうか
take it too personalyしちゃう。落ち込んで、悲しくなって、憤る。

でも仕事は仕事で、自分の周りにある恋愛関係とか友情とは違う。
ロジカルに、的確に、正確に。
ここ数ヶ月何度も思ってきたことではあるけれど
もっと仕事っぽく、仕事に向き合おうと思う。
会社で"仲良し"をするのは卒業ね。

2011年4月2日土曜日

「ガク業」気仙沼に参考書を

私の大好きな先輩の一人が、実は生まれも育ちも気仙沼市で、
実家や親戚や友達もみんなあの震災ど真ん中に居るらしい。
先輩はたくましいから、震災後に道で会った時も
いつも通り陽気に挨拶してきて、震災の影は見えなかったけど
きっといろいろ失ったのかもしれない、って思う。

先輩は、先週から一週間ほど必要なものを買い込んで気仙沼市に向かっていた。
現場の状況がどんなかとかは詳しく聞いてないけど、
先輩の実家に、家を失った親戚とがみんな一緒に住んでるらしい。

そんな先輩がこんな活動を始めました:「気仙沼の高校生に参考書を」
先輩の実家は塾をやっていて、
震災後、家を失い、図書館を失い、学校を失い、街の本屋を失い、で
受験がしたい、受験勉強がしたいのにできない学生のために
全国から参考書を届けてもらい、それを被災地全域に配布する活動を始めました。

塾をやっている関係上、送ってもらった参考書を一時的にストックする場所もあり、
また気仙沼以外の被災地の塾とも横のつながりがあるから
全域に配布していくことができるらしい。

先輩の人柄もあり、自分も被災しているのに他の被災者を思うご家族全員の思いもあり、
私もすごくすごく応援したくて。
なので、送料は自己負担になってしまうんだけど、
もし家に使わない参考書があれば下記までご送付下さい。
または先輩のブログで詳細をご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/cma510/

「大学進学を断念させたくない」

の先輩の言葉に私もじーん。
無理はせず、自分のできる範囲内での活動が大事なんだと思う。
もし質問などあれば私までメール下さい: chizzangm@gmail.com

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「ガク業 ~気仙沼の高校生に参考書を」(私が勝手に命名)
(先輩の名前:後藤覚(がく)の「ガク」がしてのける「業」を「学業」にかけて)

送り先:
〒988-0063
宮城県気仙沼市四反田133-2 後藤 泰雄 (電話:0226-23-1310)

送り方:
①被災地の物流がまた完全整備されてなく、一部手段だと届かない可能性ありらしい。
 現状一番良いのは「ゆうぱっく」だそうです。あるいは「クロネコ」

②届いた後、整理しやすいように参考書と一緒にIndexを入れて頂けると助かります。
紙に参考書の「タイトル、著者、科目」などを御記載下さい。

③もし何か一筆を同封していただける場合は「双日の村田千尋の紹介で」と記載頂ければすぐに伝わると思います。

④すごく素敵な活動なので、ご賛同頂けるのであれば周りの人にも広めて頂けると助かります!

2011年3月8日火曜日

いんしゃーらー


旅行中に私は本をたくさん読むんだけど
あの素晴らしいモロッコ旅行の時も
成田空港の小さな本屋さんで本を4冊ほど買って
その中の一つが「アルケミストby パウロ・コエーリョ」だった。
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内容も何も知らずにたまたまそこにあったから買った本だったんだけど
スペインのアンダルシアの羊飼いの少年が
夢と偶然に導かれて、羊を手放し、北アフリカに入り、
モロッコに入り、砂漠を通り、エジプトにまで辿り着くお話。
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モロッコの汽車の中で読んでた時に、成田空港で偶然手に取った本が
偶然にもモロッコを一部舞台としていてすごく感動した。
そして、モロッコから砂漠を経由して、エジプトにたどり着く物語に、
一つ前の投稿で書いた、小さい頃から大好きだったJosephのミュージカルの
話を思い出して、偶然よりも大きな何かを感じたの。
すごくどきどきした。
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このアルケミストとJosephの物語でもそうだったように、
きっとエジプトは昔から、すごく昔から、みんなが憧れて、
苦労をしてでもたどり着きたい場所だったんだろうな。
ヒマラヤ山脈に住む人々にとって、チベットのポタラ宮がそうであるように、
ムスリムの人にとってメッカがそうであるように、
歌歌ってる人にとってマンハッタンがそうであるように。
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エジプトは行ったことがないんだけど、
私の周りにいる人がなぜかみんな行ったことがあって、
みんなエジプトはすごいって口を揃えて言う。
「日本が縄文土器とかを作って獣追っかけてた
そんな時代よりもずっとずっと前の時代に、
エジプトには城があって、街があって、学問があって、
それが今でもエジプトの至るところに存在して、
現代のものと一緒に当たり前に混在してる。
そんな日常があまりにもすごい」
私も早く行ってみたい。自分の目で歴史の神秘を見たい。
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そんなエジプトでデモが起こって、
行ったこと無い地で、知り合いも一人も居ないのに
毎日毎日すごく心配で、仕事そっちのけで毎日foreignpolicy.com
のニュースを見て、感慨深くなってた。なんでなんだろう。
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魅惑のモロッコ旅行も振り返ってみれば、
なぜ目的地がモロッコになったのかが始終不明で、
一緒に同行した連れによると
「千尋が突然電車で『モロッコに行こう』って言い出したんだよ」
って言うんだけど、何で突然言い出したのかが、全然思い出せない。
前から行きたかった国なわけでもなく。
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っていう偶然が重なって、いろいろつながって、
すごくむずむずするのに、
私はこの偶然が自分をどこに連れて行こうとしているのかが分からず
どう波に乗ればいいのかが分からない。
でも、どこか違う方向を見て突き進みたいな。
冷静に、且つ大胆に、突き進みたい。
でもどこに進めばいいのかがわからない。
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。。。
とりあえずイスラムをもっと理解するために
東京のモスクに行ってみようと思います。
インシャーラー
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4月からプチ異動が確定して、ド暇な毎日が
ド忙しくなりそうです。おうのう。

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