2010年3月8日月曜日

男性と女性

宝島社の広告。
強く、独立した女性を表現する。
キャリアも積み、趣味を持ち、ファッショナブル。
男性のために選択をするのではなく、自分のための選択をする。
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メディアはこういった女性の社会での増加を強調する。
どんどん自由になり、選択が増えた女性。
でもその「強い」女性の強調過多となり、
若干、性別はメスだけれど男となった女性が増えてきている気もする。
鎧を纏い過ぎて、自分が女であることを忘れてしまう。
戦い過ぎて、休むことを忘れてしまう。
女性像が多様化され、生きやすくなった様に見える傍ら
枠が偏ってきている気もする。
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Numero Tokyo Articlesでの編集者米原康正さんとディレクター湯山玲子さんの対談。
「ウケル女を検証する」での、湯山さんの発言。
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「“女とは、男に選ばれてこそ初めて女になる”
男は女に選ばれなくても男同士の中で選ばれれば男になる。
男に選ばれない女、という自覚は女にとって最大恐怖だけど、
今や、男は一斉に女からすたこら逃げ始めていて、
女を選ぶ責任というものがめんどうくさいという男が増えていて、
選んでもらえない女が大量発生している。
 と、どうするかっていうと、女としての存在意義をかけて、ひたすらバカになって、
「私あなたのこと、絶対に攻撃しません」っていうフリをする。
今の若い女の子って、舌っ足らずのものすごく幼稚な言葉遣いをするけど、
それは、女としての本能がなせる技。
バカになって何とか男のヤル気を喚起しようとする。
森ガールなんかは、一見男の目を気にしていないようだけど、実はその高等テクニック。
女が元気な時代と言われ続けているけれど、バカと森とキャバクラ、
男子のニーズにお答えした3つのキャラにみんな集中しちゃうのは、
本当に余裕がないからなんだろうな。
男はワタシの個性に惚れてついてくる、男ウケしなくても私はこう生きていくわ、
という人が本当にいなくなった。」
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日本の女性は進化しているのか、退化しているのか。
宝島社の広告の文末にも、「この不思議な国(日本)で」とあるけれど、
たしかに日本は‘不思議な国`なのかもしれない。
上記の様に、日本では女性像が混乱している中、
隣国韓国は`不思議の国`の影響をあまり受けていない。
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韓国では、女性と男性がお互いの性を尊重し、お互いを高めている雰囲気。
「男性は男性らしく、女性は女性らしく」というと誤解を招きそうだけど、
自然な形態でそれが行われているという感じ。
女性は独立しすぎるのでもなく、馬鹿になるでもなく、
自然に、優雅に、思ったことはしっかりと発言し主張する。
そのしっかりしている様の中には、確立した母性が見られる。
相手の人を心から心配し、守ろうとする、強く優しい女性がある。
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傍ら男性は、女性を守ろうと必死で行動をする。
しかしそれは無意味な権威を振るい、女性の発言におびえるのではなく、
女性達がその瞬間を最大限に楽しめる空間づくりに全うする。
女性達がまだ気づきもしていないニーズまで、先へ先へと考えて、
行動する。
ドアを抑える、ナプキンを取る、水を注ぐ、計画を立てる。
など、すごくささやかなこと。
そういった気がきいた行動は、女性のためではなく、半分自分のために行われている。
気がきいた行動をすることによって、女性を喜ばせると同時に
自分の紳士性を強調している。
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こう書くと、若干貴族社会が残っている風なのが韓国社会なのかな。
でも、私の目からすると、
‘不思議な国‘日本よりも、男性女性の関係が
韓国でははるかに自然に見える。

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