The Big Fish
アメリカに一年間留学してた時に
映画学を専攻しているセルビア人の友達が教えてくれた
彼の「my favorite movie」; The big fish
結構前に見て、すっかり忘れてたんだけど、
昨日ベンの家に行った時に置いてあって思い出した。
私もこの映画が大好き。
脈略があるようで、ないようで、
何を言いたいのか分かるようで、分からないようで、
伝言ゲームみたいにちぐはぐしていて、
見ている人の想像力次第でどんな映画にもなってしまう映画。
この映画が私も大好き
"Has is ever occured to you that maybe you're not too big?
but that maybe this place is too small?"
なんだか今まで、
次へ次へ、もっともっとで、
恵まれてるから、ラッキーで、結構いろんなことしてきたけど
満足できない癖がついちゃった。
前と後ろをしっかり確認するのも大切だけど
右と左にあるものを決して忘れちゃいけないんだよね。
"You were a big fish in a small pond,
but this here is the ocean and you're drowning"
次を見て、今いる場所、今していることを見下してしまう。
勉強不足は私なのに。
25mも泳ぎきらないのに、
泳ぐ練習もしないで、太平洋を横断する夢を見てる。
私に海の楽しさを教えてよ。
ウミガメやイルカと一緒に泳ぐ楽しさと
水の冷たさと太陽の暖かさを教えてくれたら
私も息継ぎの練習から始めるのに。
今日大好きな先輩と飲みに行きたくて、
飲みに行くことになって、
すごく楽しみにしていたのに
頭がそっちへ向かず、なんとなく、
自分からヤメにしちゃった。
今日は忙しくて行けません。
そして悲しくなる。しゅん。行きたかったな。
"It was that night that I discovered that most things
you consider evil or wicked are simply lonely,
and lacking in the social niceties"
何も伝えるつもりはないけど、
たとえば、
オサマビンラディンにだって家族がいて、
彼にだって思いがあって、伝えたいことがあって、
守りたいものがあって、
それを表現した方法が間違ってたんだと思う。
でもただ、何かを伝えたかったんじゃないか、とも思う。
それが分かってくれない人がいることに憤り、
悲しんで、怒ったんだと思う。
伝える方法が間違ってただけで
きっと、ずっと辿れば何かが同じだとも思う。
分からないけれど。何も分からないけれど。
私も人が好き。
でも時に人が大嫌い。
何でこんなに傷つけられるんだろう、
そして無駄に傷つけちゃうんだろう、お互いに。